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東京高等裁判所 平成5年(行コ)43号 判決

控訴人

右代表者法務大臣

三ケ月章

右指定代理人

久保田浩史

外四名

被控訴人

リース・アンデレ・ロバート

右法定代理人親権者父

リース・ウィリアム・リチャード

同母

リース・ロバタ・ローズ

右訴訟代理人弁護士

山田由紀子

中川明

大島有紀子

東澤靖

錦織明

村上典子

小林幸也

山下朝陽

小野晶子

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一控訴人

主文同旨。

二被控訴人

本件控訴を棄却する。

第二事案の概要

本件は、出産後消息の知れない「セシリア・ロゼテ」と名乗る女性を母として日本で生まれた被控訴人が、国籍法(以下「法」という。)二条三号の「父母がともに知れないとき」(以下「本件要件」という。)に当たるとして、日本国籍を有することの確認を求めた事案であり、原審は、被控訴人の請求を認容した。

一争いのない事実等

1  被控訴人の母は、「セシリア・ロゼテ」と名乗る女性で、平成三年一月四日、長野県小諸市与良町三丁目二番三一号に所在する長野県厚生農業協同組合連合会小諸厚生総合病院(以下「小諸厚生総合病院」という。)に外来患者として初めて来院して診察を受け、同月一一日及び同月一七日の二回通院した後、同月一八日に出産のため入院し、同日一八時二九分に普通分娩で被控訴人を出産したが、自ら出生届をしないまま退院して行方不明となった(争いがない。)。

2  被控訴人の父は不明である(弁論の全趣旨)。

3  小諸厚生総合病院の杉田和夫医師は、同月三〇日、被控訴人の出生届を長野県北佐久郡御代田町役場に提出した。右出生届には、被控訴人の母の欄に「セシリア・ロゼテ」、その生年月日の欄に「一九六五年一一月二一日(満二五歳)」と記載されていたが、本籍欄(外国人のときは国籍を記載する。)には何らの記載もされていなかった(〈書証番号略〉)。

4  被控訴人は、当初「国籍フィリピン」として外国人登録がされたが、その後「無国籍」として登録し直され、平成三年一〇月一一日、国籍「無国籍」のまま被控訴人法定代理人夫婦の養子となった(争いがない。)。

二争点に関する当事者の主張

1  本件要件の意義について

(一) 被控訴人

(1) 国際人権規約B規約(以下「B規約」という。)二四条三項は、「すべての児童は国籍を取得する権利を有する。」と規定しており、この規定は国内法的効力を持つから、法二条三号も、すべての子が国籍を取得できるような方向で解釈されなければならない。

(2) 昭和五九年の法改正に当たっては、無国籍防止の理想を徹底するため、改正前の法二条四号(現在の二条三号)の適用範囲を拡大し、わが国で出生し、日本国籍を付与されなければ無国籍となるべき子のすべてに当然に日本国籍を付与するものとするかどうかも検討されたが、改正前の法二条四号の適用されない子は、両親の双方又は少なくとも一方が外国の国籍を有しているから、両親がともに無国籍である場合と異なり、親の外国籍を取得できる可能性が大であり、また、それが結果的にも妥当であると考えられるとの理由で改正はされなかった。

(3) 以上のようなB規約二四条三項、昭和五九年法改正に当たっての検討経緯に法二条三号の立法趣旨を併せ考えれば、本件要件は、父母を特定するための情報や資料の不十分なことが原因となって、日本国籍が認められなければ子が無国籍となるおそれのある場合一般を含むものと解するのが妥当である。

(二) 控訴人

(1) B規約二四条三項の規定の趣旨は、児童が国籍を有しないと、現在の国際社会ではその地位が不安定になるので、児童が国籍を有する権利があるということを認める旨の原則を規定したものにすぎず、締約国にその国籍を付与すべき義務までを課したものではない。

(2) 改正後の法は、各国の国籍立法が異なることを前提にしながら、父母のいずれかが特定され、かつ、外国籍を有しているときは、一般的に子がその父又は母の有する国籍を取得できる可能性が大きいことから、父母がともに知れないことを日本国籍付与の条件としているが、父又は母の国籍を取得する可能性の有無が要件となるものではない。このことは、昭和五九年の法改正の検討経緯にもかかわらず、父又は母の外国籍取得の可能性自体を要件としなかったことから明らかである。

2  本件要件の立証責任について

(一) 被控訴人

(1) 一般に「知れない」ことの証明は、いわゆる「悪魔の証明」であるから、被控訴人の「父母がともに知れない」か否かの立証責任は控訴人にあり、被控訴人の「父又は母が知れている」ことを控訴人において立証し得ない限り、被控訴人の日本国籍を有することが確認されるべきである。

(2) 仮にそうでないとしても、被控訴人が「父母がともに知れない」ことを窺わせる事情を立証したときは、控訴人において「父又は母が知れている」ことを立証しない限り、「父母がともに知れない」ことが事実上推定されると解すべきである。このように解することが、行政事件訴訟における立証責任の分配に関する最近の学説・判例(特に最高裁平成四年一〇月二九日第一小法廷判決・民集四六巻七号一一七四頁参照)の傾向にも合致するものである。

(二) 控訴人

(1) 法二条三号に該当するとされるためには、子の「父母がともに知れない」ことが立証されるべきである。

(2) 右(一)(2)のように解することは、本来「父母がともに知れない」ことの立証に対して反証をすれば足りるはずの控訴人に対し、「父又は母が知れている」ことの本証を要求するものであって、「父母がともに知れない」ことの立証責任が被控訴人にあるとすることと論理的に矛盾する。

3  本件要件の該当性について

(一) 被控訴人

(1) 「棄児」の場合のみならず、母が子を「置き去り」にした場合にも本件要件に当たる場合がある(例えば、子を下宿に放置して父母が行方不明となり、下宿の家婦がその子を育てている場合など)のであって、子の母と関係者との間に一定の接触がある場合には本件要件に当たらないと解するのは相当でない。被控訴人の母は出産後出生届をせずに行方不明になったのであるから、仮に同人がフィリピン国籍を有していたとしても、被控訴人にフィリピン国籍が付与される可能性はない。

(2) 次のような事情に照らせば、本件で判明しているのは、被控訴人の母が「セシリア・ロゼテ」と名乗る外国人女性であるという程度の事実にすぎないので、本件要件に該当するというべきである。

① 近年、偽造旅券による入国や有効な他人の旅券を利用した不法入国者が増加しており、入国審査手続は完全なものではない。したがって、外国人出入国記録(いわゆるEDカード。以下「EDカード」という。)に「セシリア・ロゼテ」の入国の記録があるとしても、フィリピン国籍の「セシリア・ロゼテ」なる人物が実在し、かつ、その本人が実際に我が国に入国したことが証明されたとは到底いえない。

② 「セシリア・ロゼテ」のEDカードの生年月日欄には「一九六〇年一一月二一日」と記載されているが、被控訴人の出生届における母の生年月日は「一九六五年一一月二一日」となっており、両者の生年が異なっている。氏名と生月日は一致しているが、氏名と生月日のみであれば、被控訴人の母が「セシリア・ロゼテ」を知っていて、自分の真の氏名や生月日を隠すために「セシリア・ロゼテ」の氏名・生月日を詐称したということも十分にあり得る。その場合、生年についてだけは、年相応に見られるよう自分自身の生年に合わせたということもうなずけるところである。もし、被控訴人の母と「セシリア・ロゼテ」が同一人物であるとしたら、生年についてのみ嘘を言う理由はないし、自分の生年を間違えるはずもない。

③ EDカードの署名欄のサインは「Cecillia」で、その氏名欄の「CECILIA」より「l」が一つ多く、本人であれば間違えるはずもない自分の名前にそごがある。また、孤児養子縁組並びに移民譲渡証明書には「ma CEcilia ROSETE」と署名されているが、これも異なっている。結局、氏名についてみても、EDカードにある者と被控訴人の母との同一性には疑問がある。

④ 被控訴人の母がEDカードに記載された「セシリア・ロゼテ」であるとすると、同人は、昭和六三年二月二四日に入国しており、小諸厚生総合病院で診療を受けるまでに三年間日本に居住していたことになるのであるから、普通は簡単な日常会話位の日本語は話せるはずであるが、片言の英語とジェスチャーのみで意思の疎通を図っていたにすぎないというのであるから、「セシリア・ロゼテ」が被控訴人の母と同一人物とは考えられない。

⑤ 「セシリア・ロゼテ」に対する旅券発行に関するフィリピン共和国の証明書によれば、同人の生年が不明であるばかりか、申請経緯が記録中に存在せず、そのことの理由も不明であるというのであって、これは同人に対する旅券発行手続が甚だ不明朗であることを示している。生年が不明であるのは、敢えて生年を記載せずに旅券を発行させ、他人がそれを利用できるようにしたものではないかとの疑いすら生じさせる。しかも、右証明書によれば、「セシリア・ロゼテ」のミドルネームは「メルカード(MERCADO)」であるということであるが、これは前記の孤児養子縁組並びに移民譲渡承諾書の記載(ma)と明らかに異なるものであり、他人の氏名を詐称したからこそミドルネームまでは熟知せず間違えたと考えるのが自然であって、「セシリア・ロゼテ」と被控訴人の母が全く違う人物であることを推認させる重大な事実である。

(3) 仮に、被控訴人の母がフィリピン国籍を有するものとしても、本件要件に当たるというべきである。すなわち、本件要件の「母」は法律概念としての母であり、わが国の国際私法の指定する準拠法上の親子関係が認められた母であるところ、フィリピン家族法一七五条、一七二条によれば、母と非嫡出子との法律上の母子関係は、①戸籍簿に記載された出生記録又は確定判決、② 公文書又は関係する母が手書きの上署名した私文書においてする非嫡出親子関係の認諾により認められるのであって、分娩の事実のみでは認められないのである。したがって、仮に、被控訴人を分娩した「セシリア・ロゼテ」がフィリピン国籍を有するとしても、同人が右のような手続を採らない限り、同人と被控訴人との法律上の母子関係は成立しないので、「母が知れない」といわざるを得ない。

(4) なお、① 法二条三号は、同条一号及び二号とともに「出生による国籍の取得」を規定したものであり、出生時点から認められる国籍について、その判断資料を出生後も長年月にわたり調査・探索することを予定していないこと、② 同条三号の典型例である「棄児」については、戸籍法が、発見等の申出から一四日以内ないしそれに準じた迅速性をもって就籍させることを予定しているとみられること、③ 右戸籍法の予定する取扱いがB規約二四条の要請にも見合うものであることなどから、判断の対象となる子の存在が明らかになった時から一四日以内ないしそれに近い範囲内の時期に、その時点における資料をもとに判断されるべきことが予定されているのである。したがって、被控訴人の日本国籍の確認を求める本件訴訟においても、控訴人は、本来、右期間内の資料(〈書証番号略〉)あるいはこれらと同時期に存した資料のみを提出すべきであったのであり、それ以上に、訴訟提起後に新証拠を探索して得られた新証拠を提出することは、前記各法の法意に反するものであって許されない。法二条三号による国籍の付与は暫定的なものであり、後に父母が判明した場合には、その段階で右暫定的効果を変更すればよいのであるから、子の権利・福祉の観点から、早期に同号の要件の存否を判断し、父母が知れないときには日本国籍を認めた上で、なお国が妥当と考えれば調査を続行すればよいのである。

(二) 控訴人

(1) 本件要件は、もともと棄児が典型的な例として考えられていたことに鑑みれば、本件のように、被控訴人の母と被控訴人を分娩した病院の関係者らとの間に一定の接触があった場合には、本件要件に該当すると解することはできない。

(2) 次のような事情に照らせば、被控訴人の母は、フィリピン国籍の「セシリア・ロゼテ」であり、昭和六三年二月二四日にフィリピンのマニラから大阪空港に上陸した者であるというべきであるから、本件要件には該当しない。

① 旅券を所持する者が本邦に上陸しようとする場合には、その者がEDカードを作成し、それを旅券とともに入国審査官に提出して上陸の申請をすることとされており、入国審査官は、EDカードに記載された者とEDカードを作成提出した者について、旅券の写真等により同一性を確認するのである。したがって、EDカードに記載があれば、その記載にかかる人物が実在し、我が国に入国したことが明らかである。本件におけるEDカードの記載によれば、フィリピン国籍の「セシリア・ロゼテ」が実在し、我が国に入国したことは明らかであり、しかも、「セシリア・ロゼテ」に対する旅券発行の事実は、フィリピン共和国が確認ずみである。よって、本件において、「セシリア・ロゼテ」の実在は確実に担保されているということができる。

② 右の入国者と被控訴人の母との同一性についてみるに、出生届及び出生証明書、孤児養子縁組並びに移民譲渡証明書、更に被控訴人の出生した病院関係者の供述等から、被控訴人の母が「セシリア・ロゼテ」という名で一九六五年一一月二一日生であると称していたことが認められ、EDカードと氏名及び生月日の一致が認められるので、これらのことから、被控訴人の母と前記①の入国者との同一性も、優に証明されているものというべきである。小諸厚生総合病院の関係者の供述等において、被控訴人の母はフィリピン人らしいとされていることも、EDカードの記載と一致するものであって、被控訴人の主張を補強するものである。

③ 控訴人主張のような不法入国等の例は、全体のなかで極めて小さなものでしかなく、EDカードの信用性を揺るがすものとはいえない。また、被控訴人は、種々のケースを想定して、「セシリア・ロゼテ」と被控訴人の母の同一性に疑いを差し挾もうとするが、いずれも、根拠の薄弱な想像にすぎず、氏名・生月日・国籍の一致という事実による同一性の証明を覆すものとは考えられない。

(3) 本件のように母とその非嫡出子との関係について渉外的要素がある場合には、法上の先決問題として、親子関係の存否の決定の問題があり、これについては、法例一八条により、被控訴人の母の本国法であるフィリピン法によるべきところ、同国では親子関係の成立について事実主義を採用しているので、被控訴人とその母との間には、分娩の事実により母子関係が成立していることになる。

(4) なお、法二条三号の規定により、父母がともに知れないことを原因として日本国籍を取得したものとされた子について、後に出生当時から親子関係のある父又は母の存在が明らかになった場合には、同条一号及び二号の規定により、改めて子の国籍を決定すべきものであるから、父母が知れないことを原因とする日本国籍の取得は、親子関係が確定するまでの暫定的なものであると解される。したがって、同条三号の要件の存否の判断について時間的制約を課そうとする被控訴人の主張は失当であり、控訴人が、本件訴訟について、被控訴人の母の特定のための資料を調査・探索することには何らの違法もない。

第三争点についての判断

一争点1(本件要件の意義)について

法二条は、出生による国籍の取得について、その一号及び二号で血統主義による国籍の取得を定め、その三号では、日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、又は国籍を有しないときは、その子を日本国民とする旨規定し、生地主義による国籍の取得を定めている。これは血統主義を厳格に貫くときは、三号に該当するような子は無国籍者となってしまうことから、できる限り無国籍者の発生を防止するため、血統主義の例外として生地主義を採用したものにほかならない。実際上の問題としては、同号が適用されるのは、子を分娩した母及び事実上の父の存在が関係者に全く不明であり、かつ、その手掛りさえも得られない場合が大多数であろうが、無国籍者の発生をできる限り防止しようとする同号の趣旨に照らせば、同号の適用を右のような場合に限定して解釈するのは相当でない。右の趣旨からすれば、本件要件は、父母についての手掛りが全くないわけではないが、その資料が不十分であり、その結果父及び母のいずれについても特定することができない場合を含むものと解するのが相当である。なお、B規約は、締約国にすべての児童にその国籍を付与すべき義務まで課したものではないので、父母の国籍が特定できる場合でも、当該国の法律上子が当該国の国籍を取得できないとの事情があっても、本件要件の該当性についての判断に影響を及ぼすものでないことはいうまでもない。

二争点2(本件要件の立証責任)について

自己が日本国籍を有することの確認を求める訴訟においては、自己に日本国籍があると主張する者が、国籍取得の根拠となる法規に規定された要件に自己が該当する事実を主張立証しなければならないものであり、本件要件についてもこれと異なるところはないと解するのが相当である。したがって、挙証責任のある被控訴人が「父母がともに知れない」ことを窺わせる事情を立証しても、相手方である控訴人において「父又は母が知れている」ことを窺わせる事情を立証し、一応父又は母と認められる者が存在することを窺わせる事実を立証したときは、「父母がともに知れない」ことについての証明がないことになるというべきである。「知れない」ことの立証に困難が伴うことは別異に解すべき理由にはならない。

被控訴人は、最高裁判決(平成四年一〇月二九日第一小法廷判決)の主張立証責任に関する判断を挙げて、被控訴人が「父母がともに知れない」ことを窺わせる事情を立証したときは、被控訴人において「父又は母が知れている」ことを立証しない限り、「父母がともに知れない」ことが事実上推定されると解すべきである旨主張する。しかし、右判決は、各専門分野の学識経験者等を擁する原子力委員会の科学的、専門技術的知見に基づく意見を尊重して行う内閣総理大臣の合理的な判断に委ねられている原子炉設置許可処分の取消訴訟において、被告行政庁のした原子炉施設の安全性に関する判断に不合理な点があることの主張立証責任は、本来、原告が負うべきものと解されるが、当該原子炉施設の安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していることなどの点を考慮して、被告行政庁の側において、まず、被告行政庁の判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張立証する必要があり、被告行政庁が右主張立証を尽くさない場合には、被告行政庁のした右判断に不合理な点があることが事実上推定されると判示したものであって、本件要件の存否という事実認定が問題となっており、かつ、一般的な証拠の偏在という事情のない本件とは事案を異にするというべきであるから、右判決においてされた判断を直ちに本件に適用することは相当でない。

三争点3(本件要件の該当性)について

被控訴人の父が知れないことは前記第二の一2のとおりであるので、前記二に述べた見地から、被控訴人の母が「知れない」といえるか否かについて検討する。

1  被控訴人は、被控訴人が法二条三号の規定により日本国籍の確認を求める本件訴訟においては、控訴人は、本来、被控訴人の存在が明らかになった時から一四日以内ないしそれに近い範囲内の時期に得られた資料のみを提出すべきであり、それ以上に、訴訟提起後に新証拠を探索して得られた新証拠を提出することは許されない旨主張する。

しかしながら、本件は被控訴人が現在日本国籍を有することの確認を求める訴えであるところ、法においては、提出できる資料の取得時期を明記していないのであり、また、この点について被控訴人の主張するように解さなければならない実質的な理由があるとは考えられないので、その時期を被控訴人の主張する国籍の取得要件である本件要件の存否の判断に当たって、事実審の口頭弁論終結時まで調査・探索して得た資料を証拠として提出し得ることは当然のことであるから、被控訴人のこの点についての主張は、採用することができない。

2 前記第二の一の事実並びに証拠(〈書証番号略〉)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)(1) 被控訴人を分娩した「セシリア・ロゼテ」と名乗る女性(以下、単に「母親」という。)は、小諸厚生総合病院において受診及び入院する際に、身分を証するような物(旅券、健康保険証等)は一切所持しておらず、会話は片言の英語及び身振りで行っていた。なお、母親の入院の際、病院職員の作成したカルテには、母親の供述に基づいて、名前「セシリア M ロゼテ」、生年月日「一九六五年(昭和四〇年)一一月二一日」、性別「女」と記載されている。

また、被控訴人の養父が入院依頼人になったが、同人は、それまでは母親との面識はなかった。そして、被控訴人の養父が依頼人として署名し、平成三年一月一八日の入院の際に提出した入院証書(〈書証番号略〉)の患者の氏名欄には「Cecilee M. Rosete」(又は「Cecille M. Rosete」)、生年月日欄には「六五年一一月二一日」と記載され、住所欄の記載もされていたが、右の記載を誰がしたのかは明らかでない。

(2) 同病院の産婦人科婦長は、母親はフィリピン人ではないかとの印象を抱いた。

(3) 被控訴人の養父は、被控訴人と養子縁組をする前に、小諸厚生総合病院において母親に一度会ったが、母親の国籍はフィリピンであるとの印象を受けた。

(4) 被控訴人の出産に関与した小諸厚生綜合病院の医師杉田和夫により平成三年一月三〇日に提出された出生届(〈書証番号略〉)に添付された「孤児養子縁組並びに移民譲渡証明書」と題する同月一九日付け書面(〈書証番号略〉)には、「Ma CEcilia ROSETE」が「andrew Robert Rees」の唯一の親で、この子供の養育が不可能なので、被控訴人の養父母と養子縁組をする旨等が記載されており、その署名捺印欄には「ma CEcilia ROSETE」と記載されているが、右の署名は母親の自署ではなく、付添の友人が代筆したものである。

(5) 被控訴人と母親は平成三年一月二三日退院したが、その際、出生届に必要な出生証明書一通を母親が病院職員から受領している。

(二)(1) EDカードには、次のとおりの者が、一九八八年二月二四日、フィリピンのマニラから空路で大阪へ入国した旨の記録があり、「Cecillia m Rosete」と署名されている。

国籍 フィリピン

氏名 ROSETE,CECILIA,M

性別 女

生年月日 一九六〇年一一月二一日

旅券番号 F五三二九七六(〈書証番号略〉を一見すると「P」のようにも見えるが、これを子細に検討すると、「F」の横画の右端が接近しすぎたために「P」のように見えるにすぎないものと認められる。)

目的 観光

(2) 右の者は未だ出国していない。

(三)(1) フィリピン共和国の日本総領事館は、一九八八年二月一日付けでフィリピン国籍の一九六〇年一一月二一日生の女性「ROSTE CECILIA M.」に短期滞在査証(査証番号八一六五一一)を発給した。

(2) フィリピン共和国における旅券発行の有無に関する照会に対し、同国領事部領事記録課課長代理は、旅券課電子情報処理室のIBMマスターリストの記録に基づき、次のデータが存在すること、及び本件旅券の処理済申請書は、理由は不明であるが、ファイルされていないことを回答している。

旅券番号 F五三二九七六

発行日 一九八七年一〇月二六日

発行場所 マニラ

申請者名 CECILIA MERCADO ROSETE

生年月日 一一月二一日(年は記載されていない。)

出生地 Talavera,Nueva Ecija

婚姻状況 独身

渡航目的 観光

渡航先 アメリカ合衆国

(3) 一九六〇年一二月一二日にフィリピン共和国Nueva Ecija州Talavera市に提出された出生証明書には、次のとおりの記載がされている。

子の氏名 Cecilia Rosete

出生日 一九六〇年一一月二一日

出生場所 Poblacion Talavera N. E

父の名 Felino S. Rosete

父の国籍 フィリピン

母の名 Juanita P. Mercado

母の国籍 フィリピン

両親の結婚した日

一九五一年六月一七日

3  出入国管理及び難民認定法並びに同法施行規則等によれば、本邦に入国しようとする外国人は、有効な旅券で日本国領事館等の査証を受けたものを所持し、上陸しようとする出入国港において、入国審査官に対し上陸の申請をして、上陸のための審査を受けなければならず、審査に当たっては、氏名、国籍、旅券番号、渡航目的等を記載した書面(EDカード)を提出した上、旅券を提示しなければならず、また、入国審査官は、旅券の所持者とEDカードを提出して入国しようとする者とが同一人であることを旅券の写真等によって確認することになっているので、一般的には、入国しようとする外国人が有効な旅券を所持している者であり、その旅券に基づいて、EDカードに記載された者とEDカードを作成提出した者との同一性を入国審査官が審査、確認しているので、EDカードの作成提出者がその旅券の発行を受けた者と同一人であること、及びその者が入国したことは確認されているものということができる。他人名義の旅券や偽造変造の旅券で日本国に入国しようとする事例があったとしても、右の事実を覆すに足りるものとはいえない。したがって、前認定の事実によれば、フィリピン国籍を有する婚姻した父母の子として、一九六〇年一一月二一日にフィリピン共和国Nueva Ecija州Talavera市において出生した、同国の国籍を有する独身女性である「CECILIA ROSETE」(以下「ロゼテ本人」という。)が、番号F五三二九七六の旅券を所持して、一九八八年二月二四日、フィリピンのマニラから空路で大阪へ上陸したことが認められる。もっとも、フィリピン共和国の記録上、旅券を発行した「CECILIA MER-CADO ROSETE」の生年は記載されておらず、かつ、理由は分からないが処理済申請書はファイルされていないというのであるが、旅券の発行を受けるに際し、作為的にその申請書に生年を記載しなかったとみることは、旅券に生年が記載されていたとみられること、及びその後、査証の発行を受ける際には生年を明らかにしていることと矛盾することになり、不合理、不自然である。また、処理済申請書がファイルされていない点も、その理由が分からないので、このことから直ちに旅券の発行手続に作為があったことを疑うことはできない。更に、EDカードの署名には「Cecillia m Rosete」とあり、「CECILIA」の綴りに誤りがある点も、全ての者が自己の氏名を誤りなく綴ることができるとは限らない(ちなみに、EDカードの国籍欄には「Filipin」と記載されており(〈書証番号略〉)、その綴りに誤りがある。)のであるから、空路で大阪へ上陸した者が、ロゼテ本人ではなく、本人以外の者が何らかの手段により、フィリピン共和国において、他人である「ROSETE,CECILIA,M」の名義による旅券を取得し、これを提示して不正に我が国に入国したことを疑わせるには不十分というべきである。結局、空路で大阪へ上陸した者がロゼテ本人であることには、若干の疑念がないではないが、未だ合理的な疑いを差し挾む程度には至らないというべきである。

4  次に、母親がロゼテ本人と同一人か否かについて検討する。

(一) 前認定の事実によれば、① 小諸厚生総合病院の関係者及び被控訴人の養父は、被控訴人の出産前後にその母親と面談し、一応その身上関係について聞いており、その限りでは母親が誰であるかを知っていることになるが、その者について、旅券や健康保険証等により、その者の氏名、生年月日、国籍、住所等の身上関係を確認しているわけではなく、② 被控訴人の出生届は、母親がしたのではなく、杉田医師がしたものであり、③ 本件全証拠によっても、他に母親を特定できる者が存在するものとは窺えないので、結局、母親が右病院において供述したところが真実であるか否かを確定することができず、右の事実関係だけでは、被控訴人の母親が誰であるかは、一応知れないということができる。

(二) 一方、前認定の事実関係によれば、① 母親が病院関係者等に供述したところによれば、母親の氏名が「セシリア・ロゼテ」、生月日が「一一月二一日」で、旅券ないしはEDカードに記載された者の氏名、生月日と合致していること、② 同病院の産婦人科婦長や被控訴人の養父は、母親と面談して、確たる証拠はないが、同人がフィリピン人であるとの印象を受けていること、③ 母親が入院する際、被控訴人の養父は入院依頼人となり入院証書に署名しているが、患者である母親については、人を特定する通常の方法である住所、氏名、生年月日について前記のとおりの記載がされていることを認識していたとみられること、④ 被控訴人の養父は、出産の翌日である平成三年一月一九日付けで母親との間で、母親の氏名を「セシリア・ロゼテ」として、被控訴人の養子縁組に関する書類を作成していること、⑤ 一九八八年(平成マ元マ年)二月二四日、フィリピンのマニラから空路で大阪へ上陸した「セシリア・ロゼテ」と称する女性がおり、その後、この者は未だ出国していないこと、以上の事実を指摘することができ、これらの事実は、母親とロゼテ本人とが同一人であることを窺わせる事情である。

もっとも、a ロゼテ本人の生年が一九六〇年であるのに、母親のそれは一九六五年とされており、生まれた年に五年の開きがあること、b ロゼテ本人は「Cecillia m Rosete」と署名していたのに、母親の氏名は「Cecilee m. Rosete」(又は、「Cecille m. Rosete」あるいは、「ma CEcilia ROSETE」と記載されており、「CECILIA」の綴りがフィリピンにおいて届け出られたものとはもとより、EDカードに記載されたものとも異なっており、また、「MERCADO」に相当する部分が「ma」と省略され、しかも氏名の最初に書かれていること、c 入国から入院まで約三年を経過しているのに、片言の英語と身振りのみで意思を伝えていたことなどの事情もある。しかしながら、前認定の事実によれば、母親は、出産の翌日には被控訴人を養子にする手続をし、平成三年一月二三日退院したのちそのまま行方不明になっているのであるから、このような者が、出産のための入院をする際に正確な年を記載しなかったり、氏名の綴りを誤ったり、あるいは、代筆者が綴りを誤ったことを認識しながら敢えてそのことを指摘しなかったとしても、そのことから直ちにロゼテ本人と母親とが同一人であることに合理的な疑いを生じさせるものということはできない。更に、仮に母親が我が国に入国してから約三年経っていても、本人の意欲や能力あるいはその間の生活状況によっては日本語を習得し得なかったこともあり得るのであって、これもまたロゼテ本人と母親とが同一人であることに合理的な疑いを生じさせるものということはできない。そして、本件全証拠によっても、前記認定事実と異なり、ロゼテ本人のほかに同人の氏名を騙る者があったことを窺わせる事情は認められない。

(三)  以上に述べた点を総合勘案すると、ロゼテ本人と母親とは同一人である蓋然性が高く、被控訴人の母が知れないことについて証明されたものとはいい難いので、結局、法二条三号の母が知れないときには該当しないというべきである。

5  被控訴人は、フィリピン家族法一七五条、一七二条によれば、母と非嫡出子との法律上の母子関係は、① 戸籍簿に記載された出生記録又は確定判決、② 公文書又は関係する母が手書きの上署名した私文書においてする非嫡出親子関係の認諾により認められるのであって、分娩の事実のみでは認められない旨主張する。

本件のように母とその非嫡出子との関係について渉外的要素がある場合には、先決問題として、親子関係の存否の決定の問題があり、これについては、法例一八条により、被控訴人の母の本国法であるフィリピン法によるべきことは、控訴人の主張するとおりであるところ、証拠(〈書証番号略〉)によれば、フィリピン家族法は、第六編において「父性及び父子関係の確立(PATERNITY AND FILIA-TION)」を扱い、一六三条前段は、「父子関係は、自然により(by nature)、又は養子縁組により、確立することができる。」と規定して、父子関係の成立について事実主義を採用することを明らかにしているが、母子関係の成立については、何らの規定も設けていないので、父子関係におけると同様、事実主義を採用しているものと解することができる。被控訴人は、一七五条、一七二条が親子(母子)関係の成立を規定したものであると主張するが、右各条が含まれる第六編第二章の標題が「父子関係存在の証明(Proof of Filia-tion)」とされていること、一七二条二項が「前項に掲げる証拠がない場合は、嫡出親子関係(legitimate filiation)は、次により証明しなければならない。」と、一七五条一項が「非嫡出子は嫡出子と同様の方法と証拠により非嫡出親子関係(illegitimate filiation)を確立することができる。」とそれぞれ規定していること、及び一六三条の前記の規定に照らすと、被控訴人の指摘する条項は、母子関係を含めた親子関係の成立について規定したものではなく、父子関係の証明方法を規定したものにすぎないと解するのが相当である。そうすると、フィリピン法のもとにおいても、被控訴人とその母との間には、分娩の事実により母子関係が成立していることになると解される。したがって、被控訴人の主張は採用することができない。

四結論

以上のとおり、被控訴人の父母がともに知れないときに当たるとは認められないので、被控訴人の本訴請求は理由がない。

よって、右と異なる原判決は相当でないからこれを取り消した上、被控訴人の本訴請求を棄却することとし、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法三八六条、九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官岡田潤 裁判官瀬戸正義 裁判官小林正)

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